極論を言う奴が一人は必要
小中学生の時の話だ。
道徳の時間、それは先生の言って欲しそうな事発表会だった。
本当の友達ならウンタラカンタラ
もし周りで困ってる人がいたらウンタラカンタラ
部落だからウンタラカンタラ…
この時間は自分にとってとても苦痛な時間だった。
自分はある重責を担っていたから。
出席番号一番。最初のペンギンとして綺麗事の海に飛び込まなければならない。
自分の発言はベンチマークになる。
後の人はただただ自分の発言をオマージュし続ける。
島唄もびっくりのカバーに次ぐカバーである。
授業の体裁は議論だが、議論になど全くならない。みんな金太郎飴のように、判で押したように、壊れたカセットテープかのように、同じ趣旨の発言なのだから。
議論とはやはり意見の違うもの同士がぶつかり合わなければならない。
議論とは極論と極論が擦り合う際に奏でる摩擦音なのだから。
本当の議論が始まるのは休み時間だった。結局みんな口触りのいい事を言っておきながら、腹では別の事を考えていたわけだ。
じゃあ授業中に言えばいいじゃないか。と言う方もおられるだろうが、教師は鼻から議論させようとは思っていない。
彼らは自分の思い通りの発言が続々出てくるのを満足げに聞き、難しい顔を作りながらもその直ぐ下でほくそ笑む。
まぁそれはいい。
自分は2chを初めて見た時驚いた。
極論のオンパレード。極論と極論がぶつかり合い、そこには遠慮もクソもない。
まさに極論の狂想曲を奏でていた。
しばし酔いしれた。
しかし気付いた。
異常やな。
リアルじゃ言えない極論をここで排泄している。
とかく現代社会は生きにくい。
我々はポリティカルコレクトの訓練をずっと昔から受けていたのだ。
ポリティカルコレクトの毒牙に社会は日々毒され続けている。
言いたい事も言えないこんな世の中じゃ…と歌っていたあのときよりも。